「……………んっ…」 その時、眠っていた筈の御伽がわずかに身じろいだ。 それに気づいたバクラが、らしくもなく肩をビクリと竦ませてしまったが、そんなこととは露知らず、御伽の意識は確実に浮上していく。 無駄な抵抗だと知ってか知らずか、バクラが両手を突き出し「起きるなー起きるなー」と御伽に向かって念を飛ばすが、努力に反して、それは、やはり無駄な抵抗でしかなかった。 御伽の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。 今日、初めて見た緑の瞳が、ぼんやりとバクラをとらえる。 普段からは考えられないほど近くになったバクラの顔に、冴えない頭のまま、御伽はゆっくりと首を傾げた。 「バクラ…?」 どうして、ここにバクラがいるのか、本当に分からないといった顔だった。 そんな御伽にかける言葉一つ思いつかなくて、まるで崖の絶壁へと追い詰められたような気分になったバクラはうっと閉口する。 ぐぐぐ、と唇を噛み締めるが、この戸惑いをぶつける相手はいない。 そんなバクラの態度に、尚更不思議そうな顔をした御伽が、再びバクラの名前を呼ぼうと口を開きかける。 しかし、それを遮って、バクラはやけくそのように声を上げた。 「は、ははははは腹減った!」 「……は?」 「腹減った!腹減った!腹減った!腹減った!今すぐに、なんか作れ!」 まるで十にも満たない子供のような口ぶりだった。 駄々をこねるように声を荒げるバクラが、御伽には余計に不思議に見えて仕方が無い。 それなのに、この起き抜けの寝惚けた頭では、現在の状況をまともに判断することすら出来なかった。 それでも、今、自分が目の前の男から食事を要求された、ということだけは、なんとか分かった。 彼は極度の空腹であるそうだ。 「あー…今、なにか作ってくるから、待ってて…」 「は…?」 そんな御伽の態度に、今度はバクラが間の抜けた声を上げたが、すでに冷蔵庫の中身へと意識が飛んでいる御伽はまったく気づかない。 確か、昼に食べたピラフがまだ残っていたはずだ。 玉子もあっただろうし、ケチャップもあったと思う。 それで、即席ながらもオムライスでも作ってやれば文句もなかろう。 そう結論づけて、満足そうに納得しながら、フラフラとした足取りで台所の中へと消えていく御伽の後ろ姿を、呆然としながらバクラは見ていた。 そして、十五分後。 食卓机の前に座っていたバクラの前に、美しい黄色を讃えたオムライスが、ほかほかと湯気をたてながら鎮座していた。 それをバクラは未だ呆然とした顔のまま飽きずに凝視している。 そんなバクラを気にすることもなく、欠伸を噛み殺しながら、バクラの真向かいの椅子に腰掛けた。 そのまま、しばらくの間、じっとバクラの様子を伺っていたのだが、スプーンを握り締めたその手が動く気配は全く無い。 御伽は少しムっとする。 なにをそう呆けているのかは知らないが、これでは、せっかく自分が作ってやったオムライスが冷めてしまうではないか。 「……食べないの?」 そんなわけはない、と知ったような声音だった。 御伽にそう尋ねられて、ようやく、はっと気づいたようにバクラは顔を上げた。 そのままウロウロとオムライスと御伽を交互に何度も見比べたかと思うと、まだ納得のいってなさそうな顔をして、バクラはスプーンをしっかりと持ち直す。 そして、徐に両手を合わせた。 「……いただきます。」 そのあまりにらしくない行動に、またもや内心、御伽は首を傾げることになったが、当たり障りの無い言葉で食事の許可を出す。 「どーぞ。」 そう言ったのを区切りに、バクラは物凄い勢いで、目の前のオムライスを胃袋に納め始めた。 作った本人としては、もう少し味わって食していただきたいものだが、この男相手にそんなことを言っても無駄だろう。 眠気覚ましの為に淹れたコーヒーを飲みながら、のんびりと御伽はバクラを眺めていた。 そして、二分の三ほどオムライスがその姿を消した時、突然、バクラのスプーンを動かす手が止まった。 食事を中断したバクラは、特に何をするでもなく、ただ、じっと御伽の顔を見ている。 ちょうど見詰め合うような形になってしまい、なんだか少し戸惑いながら御伽が声を上げた。 「俺の顔になにかついてる?」 それに、バクラはゆっくりと頭を振った。 少し迷う素振りを見せた後、バクラは戸惑いがちにゆっくりと口を開く。 まったく今日のバクラは御伽にとって奇妙以外の何ものでもない。 「なぁ、なんで玄関の鍵、開けっ放しだったんだ?」 それは、バクラがずっと抱えていた疑問であった。 しかし、そんなバクラの問いかけに、逆に御伽は首を傾げる。御伽自身も、そんな事実知らない、といった感じだった。 だが、それが、今、バクラが御伽の目の前にいる原因なのだろう。 低く唸りながらも、御伽はゆっくりと思考を過去に戻していくと、ある場所であっと声を上げた。 「そうだ、俺が寝てる時に新聞の集金がきたんだった。」 つまり、御伽の話はこういう具合だった。 玄関のベルに眠りを妨げられた御伽は、フラフラとした足取りながらも、なんとか玄関まで向かい、集金を払い終えたらしい。 だが、「ご苦労様。」と笑顔で別れを告げ、扉を閉めると、やり終えた達成感からか先ほどよりも幾倍も強い眠気に襲われ、鍵をかけることも忘れて眠りについてしまった、ということだ。 時計を見れば、もう夜の十一時を過ぎている。 単純に考えても、随分な量を寝ていたことになる。 「こんなに寝たのなんて、何年ぶりだろ…」 御伽は、ぼんやりと呟く。 しかし、探していた答えを手に入れた筈のバクラの顔は、未だ晴れない。 一応、話題に困ったので、聞いてみただけだったので、さして答えが気になっていたわけではないのだ。 これで、「バクラが来てくれるんじゃないか、って思ってたから。」などと言われたならば、バクラの驚きは天地が引っくり返っただけでは済まないだろうが、まあ、実際の理由は、集金屋だったのだから、そんなことはどうだっていい。 でも、もし、今日、集金屋が来ることなく、御伽の昼寝があと2時間早く終わっていたら、と考えると、バクラの中には罪のない集金屋に対する怒りが、ふつふつと湧いて来た。 彼がこの場にいなくて本当に良かった。 今のバクラは、いつもに比べ、何百倍も短気であった。それこそ触れれば破裂してしまうシャボン玉くらいに。 実際、問題の集金屋が目の前にいたら、御伽の話が終わるのも待たずに、バクラの拳が彼の顔面にめり込んでいたはずだ。 「バクラ?」 御伽がバクラの名前を呼ぶ。 ついさっきまで、規則正しい寝息と共に、薄っすらと開かれていた、その口で。 呼ぶのだ。バクラ、と。自分の名前を。 少しでも気分を紛らわす為に、御伽手製のオムライスをかっ食らっていたが、もはや食い気どころの話ではなかった。いや、食い気がないわけではないのだ。食欲が別の方向に向いているだけで。 ………どうしたもんか。 ほかほかだったオムライスが、どんどん熱を失って冷めていくのを、勿体ねーなーと思いながら、そして、バクラ自身はその思考のイレギュラーさに気づいてもいなかったが、作ってくれた御伽に申し訳ない、とも思っていた。 それでも、その黄色い塊をそれ以上、口にしようとも思えないので、用のなくなったスプーンを片手でもて遊びながら、片肘をついて、はーっとバクラは溜め息をついた。 不貞腐れたように、ちらりと前を見れば、御伽が退屈そうな顔をして、テーブルの隅にあった雑誌に手を伸ばしていた。 いつまでもバクラが明確な答えを返さないので、放っておくことにでもしたのだろう。 今の状況で構われても困るが、かと言って、放っておかれるのも、それはそれで面白くない。 だから、ムッとしたバクラは、思わず、雑誌に向けて伸ばされていた御伽の手を掴んだ。 掴んでしまった。 やってしまった!! その瞬間、バクラは後悔した。 突然、腕を掴んだバクラに、不満げに寄せられた眉根だとか。 男だというのに、やばいくらいに細い手首だとか。 職業柄、引きこもり生活のせいで、ほとんど日に焼けてない、真っ白な肌だとか。 バクラを真っ直ぐに見据える緑色の瞳だとか。 艶やかな黒い髪だとかピアスの開いた小さな耳だとか少しだけ開いた唇だとかTシャツの襟ぐりからのぞく鎖骨だとかほっそい首だとか!! 「 ゴ メ ン ナ サ イ 。 」 謝った。 全く、気持ちなんてこもってない。 だって、仕方ないではないか。 したかったのだ。 「ごっそーさん。」 そう言って、バクラは、ついさっきまで触れ合わせていた己の唇をぺろりと舐めた。 突然、我が身に起きた悪夢に、御伽は放心したまま固まっている。 それを良しとして、バクラは再度、御伽に顔を寄せ、再び触れるだけのキスをした。 そして、離れる時、御伽の唇も同じようにぺろりと舐めた。 なんだか、妙に名残惜しかった。 さて、何から言えばいいのだろう。 だって、そこらの強姦魔や痴漢と一緒にされては堪らないし。 この、実に居心地のいい家に、一生涯、立ち入り禁止令を食らうなんてのも持っての他だ。 まあ、そんなの抜きにしたって、こんな時にいうべきことなんて、たった一言? 自分のスタンスとかなんとか、そんなこと言ってられない。 がむしゃらだって、たまにはいい。 それで、目の前の人間が手に入るのならば、バクラはどんな苦労だって厭わないし、努力だって惜しまない。 あーあ!どうなのよ、こんな俺様って! 「なあ、お前のこと愛しちゃったんだけど、そーゆーわけで、俺様と付き合わねぇ?」 でも、今まで手に入らなかったたくさんのものが、絶対に手に入るって確信があるから、まあ、それはそれで! さあ、たっぷり幸せにしてやるから、精々、覚悟しておくこったな! そして、目を白黒させながらもなんとか文句を言おうとした御伽の口を、深い口付けで黙らせたバクラは、それはそれは楽しそうに笑った。 <<< >>> 多少、バクラの凛々しさをラストで醸し出してみたつもりなんですが 彼の理性が如何に脆いかという事実しか分かりませんね。 どこまでが古い文で、どこからが書き足した文なのか如実に分かって泣けてきます。ぎーゃー |